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名古屋地方裁判所 昭和37年(行)38号 判決

原告 渡辺治郎吉

被告 愛知県知事

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告が別紙目録記載の農地につき昭和三四年一二月一日付でなした買収処分を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、

一、別紙目録記載の農地(以下本件農地という)は、もと原告の所有であつたところ、被告は、本件農地につき原告を被買収者として、買収期日を昭和三五年三月一日、買収価格を金五万一七六六円と買収令書を同三四年一二月一日付で発行し、原告にこれを交付して買収処分をした。

二、しかしながら、右買収処分は次に述べる如き理由により違法であるから取消さるべきである。

(1)  右買収処分が農地法第九条に基くものであり、同法第一五条に基くものでないことは、その買収令書に、単に「農地法第一一条第一項の規定による買収令書」と表示し、「農地法第一五条、第一一条第一項の規定による買収令書」とは表示されていないことにより明らかである。しかるところ、本件農地は自作地であつて小作地ではない。

即ち右買収処分の当時、本件農地は訴外青木昇一が耕作をしていたが、原告は同人と右農地につき小作契約を結んだことはないから、本件農地を小作地として農地法第九条に基き買収したのは違法である。

(2)  仮に、右買収処分が農地法第一五条に基くものであるとしても、次の理由によりなお違法たるを免れない。

本件農地は、原告が昭和二三年二月二日旧自作農創設特別措置法一六条により国から売渡を受けた農地であるが、本件買収処分当時、訴外青木が該農地を耕作していたのは、原告が妻の病気により本件農地を自ら耕作することができなかつた関係で、農地法第三条第一項の規定による許可を受けてはいなかつたが、一時これを訴外青木に対し貸し付けていたものであるから、農地法第一五条に基く買収は違法である。

(3)  仮に、以上の理由が認められないとしても、右買収の対価は時価に比し極めて低廉であり、憲法第二九条第三項にいう「正当な補償」に違反する。

三、そこで原告は右買収処分の違法を理由に取消しを求めるため、農地法第八五条の規定により、昭和三四年一二月二九日農林大臣に訴願を提起したが、右訴願は同三七年九月二一日付で却下された。

よつて原告は右買収処分の取消しを求めるため本訴請求に及んだ。

と述べた。

(証拠省略)

被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁及び主張として、

一、請求原因(一)及び(三)の事実は認める。同(二)の事実中本件買収処分に違法事由の存するとの点はいずれも否認する。

二(1)  本件買収処分は、農地法第一五条に基くものである。

原告は、本件買収令書には単に「農地法第一一条第一項の規定による買収令書」と表示されているから、本件買収処分が農地法第九条の規定による買収であること明らかであると主張するが、仮に、原告に交付された買収令書にそのように表示されているとしても、同法第一五条に基く買収処分の場合にも、同法第一一条の規定が準用されておつて、同条第一項所定の事項を記載した買収令書を交付することを必要とするが、その買収令書には、特に同法第一五条の規定による買収令書であることを明記する必要はないから、原告の右主張は理由がない。

(2)  本件農地には、農地法第一五条に規定する除外事由はない。原告は、本件農地を訴外青木に対し一時貸し付けていたものである旨主張するが、その自認するように、右につき同法第三条第一項による許可を受けていなかつたのであるから、原告の主張は理由がないといわねばならぬ。

(3)  本件買収の対価は、農地法第一五条第二項、第一二条第一項、農地法施行令第二条第一項に基き算定されたもので、憲法第二九条第三項の「正当な補償」に該当するものである。憲法第二九条第三項にいう「正当な補償」の意義については同条第一項の私有財産権尊重の趣旨と、同第二項の公共の福祉の要請との両者の総合調和という観点に立脚して解釈されねばならぬのである。すなわち、それは必ずしも完全な補償を意味するものではなく、いわゆる「相当な補償」を意味するものと解すべきである。

ところで、現行の農地買収の対価の算定方式は、農地法第一二条第一項(第一五条第二項により準用)及び農地法施行令第二一条第一項により、「その農地についての法第二一条第一項の規定による小作料の最高額に一一を乗じて算出する」ものとされているが、この方法によつて算出された額は、いわゆる自作収益価格方式に基く自作収益価格と一致するものであつて、右は「相当な補償」に当るものであり、憲法第二九条第三項にいう「正当な補償」にほかならないのである。

即ち、今次の農地改革が、耕作者の地位の安定確立をはかるための自作農創設を中核として行われたもので、その自作農創設を実現するための旧自作農創設特別措置法第三条にもとずく農地買収の対価は、いわゆる自作収益価格方式により算出されたものであつたこと、そして、右方式による買収対価が憲法第二九条第三項にいう「正当な補償」に当るものであつたことは、すでに、判例の認めるところである(最高裁判所昭和二八年一二月二八日判決民集七巻一三号一五二三頁参照)。ところで、農地法は、右農地改革の精神及びその諸制度を受け継いだ法律であるから、同法による農地買収の場合における対価の価格決定も、右と同様に自作収益価格方式によることが制度上要請されるところであるし、また、今日の農地事情の下に置いても極めて合理的なものと言わなければならない。

更に、農地法の規定により買収される農地につき、その所有権の内容を実質的に考察してみても、右自作収益価格が「相当な補償」に当るものであることを首肯できるのである。即ち、農地の所有権は、かつてのような完全絶対な権利ではなく、上述の公共の福祉の要請から、その本質自体に変容を受けて相対的な権利に転化し、その自由処分は制限され(農地法第三条、第五条)、耕作以外の目的に変更すること、及び小作地の引上は共に制限を受け(同法第四条、第五条、第二〇条)、また、小作料も一定の金額に統制され(同法第二一条ないし第二三条)ているのであつて、今日においては、農地所有権は、いわば一定の生産利益(小作料)を産むための農地収益権的機能を持つたに止まる財産権とみるのを相当とする。農地所有権の右収益権的性質を基礎とし、これに、農地買収が自作農創設の目的達成に関するものであることを加味して考える場合には、右自作収益価格をもつて、農地所有権に対する相当な補償に当るものと解釈することが、最も妥当なものと言わなければならない。

そして、本件買収は、農地法第一五条によるものであるが右買収地についても、同法第三六条により自作農として農業に精進する見込みがある者に売り渡されて自作農創設の事業に供されるものであつて、同法第九条による買収の場合と、その究極の目的において変るところはない。のみならず、そもそも本件買収地は、自作農創設のため政府が買収して売り渡したものであるに拘らず、その売り渡しを受けた者が、政府の期待に反し自ら耕作しないで第三者に耕作させるに至つたことから、政府は、当初の目的である自作農創設の目的に供せられるべき状態に引き戻すため、本件買収処分を行つたのである。したがつて、本件農地につき、同法第九条による買収の対価額(すなわち自作収益価格)以外の額をもつて買収しなければならないとする事由は毫も存在しないのである。

なお、本件土地は、正当に設定された小作地ではないため農地法第二一条による小作料最高額は定められておらず、従つて本件買収の対価は近傍類似の小作地の小作料最高額に相当する額を基礎に算定されたものである。

以上のとおりであるから、農地法第一五条第二項で準用する同法第一二条第一項及び農地法施行令第二条第一項に基き算出された本件農地の買収対価は、まさしく憲法第二九条第三項にいう「正当な補償」に当るものであつて、右対価をもつて違憲であるとする原告の主張は理由がない。

と述べた。

(証拠省略)

理由

一、原告が、本件農地買収処分の当時右農地の所有者であつたこと、被告が、右農地について原告を被買収者として、買収期日を昭和三五年三月一日、買収価格を金五万一七六六円とする買収令書を同三四年一二月一日付で発行し、原告がこれを受領したことは、いずれも当事者間に争いがない。

二、そこで、右買収処分につき、原告主張のような違法理由があるか否かについて順次判断する。

(1)  成立に争いのない甲第一号証および乙第一号証並に本件弁論の全趣旨によれば、右買収処分は、農地法第一五条に基くものであることを認めるに足り、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

なるほど、右甲第一号証の一部である「買収令書送付書」には、原告の主張する如く単に「農地法第一一条第一項の規定による買収令書の交付について」とだけ記載されているが右送致書の次に編綴された「買収令書」、即ち右甲第一号証の主要部分であり、本件をなす買収令書には、明らかに「農地法第一五条の規定による買収を下記によつて行います。」と記載されている。農地法第一五条第二項によれば、同条第一項に基く買収の場合にも、同法第一一条第一項(第九条の買収のための買収令書の記載方式)の規定が準用されているので、同法第九条に基く買収であるか第一五条に基く買収であるかは、送付された「買収令書」そのものの記載内容によつて判断すべきであり、右買収令書の表紙に添付された「買収令書送付書」の如き記載によつて、その内容を決定すべきでない。したがつて、この点に関する原告の主張は採用の限りでない。

そうすると、右買収処分が農地法第九条に基くものであることを前提として、本件農地は同条に規定する小作地に該当せず、右買収処分は違法であるとなす原告の主張は、とうてい理由がないと称せねばならない。

(2)  農地法第一五条第一項の規定によれば同法第三条第二項第六号に規定するいわゆる創設農地でも、同法第三条第一項の規定による許可を受けて貸し付けた場合には買収を免れることになつている。しかしながら、右農地法第三条第一項の規定による許可は、農地貸付のための有効要件であると解すべく、右許可を受けないでなした貸付けは無効である。従つて右許可を経ないでなした農地貸付は同法第一五条第一項の除外事由に該当せず、国が該農地を所有者から買収することは固より適法である。

ところで、原告は本件農地を訴外青木において耕作していたのは、原告の妻が病気により耕作することができなかつたため、同訴外人に一時貸し付けたものである旨主張するが、右貸付けにつき同法第三条第一項の規定による許可を受けなかつたことは、原告の自認するところであるから、原告の右主張(同法第一五条第一項の除外事由に当るとの主張)は、主張それ自体失当として排斥せねばならない。

(3)  次に憲法第二九条第三項にいう「正当な補償」とは、当該財産に関し、諸般の事情に照し合理的に定められた相当な額をいうのであつて、必ずしも右財産の時価と一致することを要するものではないと解すべきことは、(最高裁判所の判例の示すとおりである。)

ところで、農地法第一五条によつて準用される同法第一二条第一項及び農地法施行令第二条第一項は、農地買収の対価算定につきいわゆる自作農収益価格算定方式を採用するものであつて、農地法が規定する農地所有権の性質、権能及び農地買収の目的等を考え合せると、右算定方法は妥当なものと言わなければならず、従つて、これにより算定された対価は、憲法第二九条第三項にいう、「正当な補償」に該ると解するを相当とする。

しかして、本件買収の対価が、農地法の前記規定に則り、算定されたものであることについては原告は明らかに争つていないから、これを自白したものとみなすべく、そうすると右対価は憲法第二九条第三項の「正当な補償」に適合するものであつて、この点に関する原告の主張は理由のないこと明白である。

三、以上の次第で本件農地の買収処分が違法であるとの原告の主張は結局いずれも採用できず、原告の本訴請求は、その理由がないことに帰するから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山口正夫 浪川道男 寺本栄一)

(別紙目録省略)

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